2025年04月17日

僕とシンセと音楽と【vol.16】

ポプコンに出場して、1回目、2回目となんの賞もいただけませんでしたけど、1回目に少しだけYAMAHA関係者に見られたことと、2回目もちょっと注目されたみたいってだけでもOKでしたよ。YAMAHAの新機種DX-7をいっぱい使ったとか、バックテープを使用してのシンクロ演奏とか、それが功を成したなんて? えへへ…、当時まわりにはいなかったですものそんなことしてるグループ。やっぱり少しでも爪痕残さないとね(笑)
ところでこのDX-7、なんかステージでは薄っぺらい音なんですよね。そこでエフェクターを使用したのですが愛用してたのは「AMDEK Flanger」ですよ。まぁBOSSなんでしょうけど、AMDEKは自作エフェクターキット・シリーズです。半田付けとかやりましたもん。他にもPerccusion Synthesizerもつくりました。この二つは結構重宝しましたよ。フランジャーはコーラスよりも大胆に厚みをつけられたんでDX-7とは相性が良かったです。難点はド素人が作ったのでノイズが多い!ポプコンではPAさんに嫌がられました(笑)自作キットといえば、当時「ラジオの製作」という月刊誌(?)によくシンセサイザーの自作キットの広告が載っていたように思います。大きくじゃなくてどこかのショップの白黒広告で、小さく紛れ込んでたような感じで。今もあればいいのになぁ〜。
Amdek.jpg
アムデックは地元の小さい楽器屋さんで買いました

【vol.17】へつづく
posted by nobby at 12:17| Comment(0) | 僕とシンセと音楽と | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月12日

僕とシンセと音楽と【vol.15】

高校2年、2回目のポプコンでは僕たちのバンドでエントリー。構成はドラム、ギター、キーボード、ボーカルの4人です。ベースや他の音は4Trテープ録りして回してました。このバックテープに関しては外部の声で賛否ありましたが、前回のポプコン出場時に主催者側に何も言われませんでしたし、演奏も成功しましたのでまぁ、大丈夫だろうということで。もしこの仕様で参加が出来なければ、当時のメンバー構成とテクニックでは出場自体難しかったと思います。テープ音源はDX-7、TR-909も使ってたな。パーカションは音で確認出来ますが、如何せん曲の制作にあまり関わってなかったのでよく憶えていません。
さてこの大会結果は・・・なんの賞もいただけませんでしたぁ。この年の地区大会はバンドブームもあり50組近いエントリーがあったようで、審査員は後半は半寝だったようです。陰でクレームもあったようですが、まぁしょうがないですね。僕たちは最後の方だったので寝ていたのかな(笑)
tr909.jpg
僕はあまり好みではなかったTR-909の音。
それでもバンドとしてはかなり使いまわした機材でした。


【vol.16】へつづく
posted by nobby at 06:51| Comment(0) | 僕とシンセと音楽と | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月09日

僕とシンセと音楽と【vol.14】

前回の「K子さんのバックバンド」の次の年(高校2年)も同じオファーがあったのですが、お断りして自分達で出てみようということになりました。K子さんのほうは新たにユニット(女子2人組)を組んで活動、ドラムのB君が編曲してやったようで、ドラム音とパッド音でシンプルな構成でいい感じでした。それとは逆に僕たちの曲はかなりPOP路線に変更してました。これはまぁ、当時のJ-popに影響されていたんだろうと思います。ベースのA君は当時かなりいいルックスだったので「ボーカルは君しかいない!」となりましたが、本人は嫌だったんじゃないかなと思います。

肝心の曲ですが、この年の出場した曲は僕はほとんど制作には携わっていませんでした。なんでかは思い出せないのですがドラムのB君がメインで、A君と二人でアレンジも含めて80%くらいに仕上げていました。使用機材はほぼDX7だったかと思います。それと、おそらくこの時にTR-909を初めて使った気がします。僕個人としてはあまり好きな音じゃなかったですが、流行りもんは使わないと...ってな感じで曲にはマッチしていたように思います。その後僕が合流して「ここにこんなシーケンスフレーズを録ろう」とか「当日の演奏ではこういう音でこんなフレーズ入れるよ」的なことを言ったくらいでした。まぁ、それぞれ得手不得手があるように、僕はポップスみたいな曲が出来なかったんです。どうしても暗い変な感じになってしまう。無理して作ろうものなら、なんか懐メロ・昭和歌謡な感じになっちゃう(笑)そのあたりドラムのB君はそういうのがうまかったですね。
【vol.15】へつづく
posted by nobby at 11:24| Comment(0) | 僕とシンセと音楽と | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月04日

僕とシンセと音楽と【vol.13】

何のあてもなく、休みの日にメンバー4人が集まって音楽の話やら、ただ音出しやらをしていた時期、ある日突然、僕の通う高校の女子クラスの子(以下:K子さん)から「ポプコンに出ない?」と誘われました。ポプコンというのはこの時初めて知ったと思います。話を聞いてみるとYAMAHAの主催するコンテストだということがわかりました。興味はあったけど、ひとつネックになったのはそのK子さんの「バック演奏」をするということでした。メンバーで話し合った結果、ものは試し…ではないですけど「まぁ、出てみようよ」と話はまとまったのでした。

曲はK子さんのもので、出場するにあたりバンド編成のアレンジをするところからでした。バンド編成といっても当時この人数でまとめるテクもなかったし、ベースにいたってはエレキを買って始めたばかりだったので、どーする〜?なんてな感じでした。結局「YMO形式で行こう」ということになりました。伊達にYMOが好きだったわけじゃありません!いろいろなノウハウ(悪知恵?)を活用したわけです(笑)編曲はほぼ僕がしたと思います。ベースパートやPad関係+別トラックにクリック音をTASCAMのPORTA ONE(ドラムのB君が持っていた4Tr カセットMTR)に録音、ステージではそのB君がヘッドホンをしてクリック音もミックスしたテープを聴きながらドラムを叩き、僕たちはそれらに合わせて演奏しました。
結果はなんの賞もいただけませんでしたが「出来た!」という達成感・満足感で気分は良かったですね。そして後々知ったことですが、YAMAHAの関係者の目に止まったということだけでもやってみてよかったということです。
i-img1200x900-1697810431aqufqz1375609.jpg
当時使いまわしたTASCAM PORTA ONE。
この機材導入で作曲はもちろん、ステージにおいてもかなりのパフォーマンス(効率と成果)を発揮しました。

【vol.14】へつづく
posted by nobby at 08:36| Comment(0) | 僕とシンセと音楽と | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月01日

僕とシンセと音楽と【vol.12】

さて、Japan Tour 1983 通称散開コンサートの続き。衝撃的だったのはSIMMONSのドラムが採用されていたことです。まさかこんなドラムを使うとは…と、びっくりしました。コンサートを見に行ったドラムのB君は触発されたのかどうかわかりませんが、パールだったかな(忘れました)のシンセドラムを買いました。進学校に行ったB君がこのドラムを買ったっていうのは嬉しかったですねぇ。まだ一緒にやってくれるんだって思いました。ベースのA君はARIAのエレキベースを買い、ギターの友人(C君)はなんだったかな・・・忘れたけど普通にいいヤツ(japan製)を使ってたと思います。高校へ進学後のこの時期、当初のオリジナルメンバー3人+ギターの1人でなんとなくバンドをしていたと思います。この時期は何をやっていたのかいまいち思い出せません。おそらく洋楽(ベストヒットUSA)やら日本でのBOOWY他の人気などで色々と方向性を模索していた時期かもしれませんね。
【vol.13】へつづく
posted by nobby at 23:55| Comment(0) | 僕とシンセと音楽と | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月26日

僕とシンセと音楽と【vol.11】

DX-7、今思えばこんなたった2行の液晶画面を見ながらスイッチをペコペコ押して数値変えて・・・って、よく音作りが出来たよなぁって思いますね。この頃はDX-7の難解な音作りに没頭してて、もうSH-101の出番はありませんでした。シンセ界でもデジタルへ移行して新登場のシンセもアナログは少なかったんじゃないでしょうか。当時の洋楽でもエレピやベース、チャイムの音なんかDX-7のプリセット音が溢れていましたね。

少し時期的に前後しますが、DX-7が出た年の年末くらいにYMOの散開コンサートがありました。この散開コンサートはたった7回しかないのに我が福島県の郡山市が入っていた。ドラムのB君に見に行かない?って誘われたけど行きませんでした。Winter Live 1981からJapan Tour 1983のコンサートではまったく楽器が見えないし、どのパートを、何を弾いてるのかもわからないあのステージセットがどうしても気に入らなかった。サウンドに関しても「これテープ回ってね?」って感じですもんねw そのかわり「プロパガンダ」は地元の市民会館に見に行きましたよ。
【vol.12】へつづく
posted by nobby at 20:25| Comment(0) | 僕とシンセと音楽と | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月24日

僕とシンセと音楽と【vol.10】

高校のアルバイトでお金を貯めて「何を買おうかなぁ〜」なんてキーボードマガジンを見ている時が最高に楽しかったですね。そういえばprophet-5のカタログ請求をモリダイラにしたことがあったなぁ。送られて来たのが白黒で印刷された紙っぺら1枚だけ。そこには小さく「価格¥1,700,000」と書かれてあって目ん玉飛び出ました(笑)
当時YAMAHAのDX-7が出たばかりで、雑誌を開けばその広告が目に入りなんとなくは気にしていました。でも「ツマミをいじってナンボ」と思っていた僕は、スイッチしかないボディは好みではなかったです。これは今でも同じで、スイッチを押してそれぞれのページを出して数値変更して〜って面倒くさい! ツマミいじって直感的に音作りしたいんです。

それなのに・それなのに・・・

広告に負けてDX-7買いました。というか当時「デジタルシンセ」というのがすごい気になったのと、アナログシンセでは聴いたこともないような音が出るのに驚いたことが理由です。このDX-7を買うにあたってはバイト代だけでは足りなかったので、修学旅行のための積立金を使いました。ですので、僕は高校の修学旅行は行きませんでした。
DX7.jpg
【vol.11】へつづく

posted by nobby at 21:22| Comment(0) | 僕とシンセと音楽と | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月21日

僕とシンセと音楽と【vol.9】

シンセからは話がズレますが、テクノとは全く正反対のジャンル、ハワイアンになぜ興味を持ってるのかわかりません。好きになったらもう、今度はその楽器を見たくてしょうがありません。んで楽器が欲しくなる→飽きる or 挫折する→放置のパターンになるわけですよ(笑)ハワイアンで興味を持ったのははウクレレとスチールギターですね。ギターとかベースとかはある程度は弾けるんで。ウクレレは地元の楽器屋&レコード屋さんみたいなところ(天地堂)があって、そこで買いました。7000円でしたけど昔のモノなんでビックリするほど鳴りは良かったです。スチールギターは夏休みのアルバイト代で買えました。グヤトーンの8弦モデルをたしか7万円くらいだったかと。これはどこから買ったか憶えてないんですよねぇ・・・多分通販だと思うんですが、どうやって探したのかも忘れちゃったなぁ。今は実家にもなかったのでおそらく捨てちゃったと思います。もったいないことしたな〜
【vol.10】へつづく
posted by nobby at 10:58| Comment(0) | 僕とシンセと音楽と | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする